🧭自分ラボ📘武士道
GLOSSARY 本文の 📘 を章の順に並べたもの(70語)

用語集

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導入 全体地図 — 「武士道」とは何であって何でないか

人として身につけるべき、と示された性質を一語で表したもの。義・勇・仁・礼・誠などがこれにあたる。

主君から家に対して与えられる、代々続く給与。米の量で表され、金額は基本的に固定だった。

立ち居振る舞い。姿勢、歩き方、物の扱い方、言葉づかいなど、体の動きとして外に出るもの全体を指す。

中世の武士が自分たちの決まりごとを指して使った言い方。馬に乗って弓を射ることを中心とした、戦う者の作法を意味した。ほかに「兵(つわもの)の道」「武者(むしゃ)の習い」とも呼ばれた。

武田信玄・勝頼の事績と戦い方をまとめた軍学の書。江戸のはじめに成立したとされ、「武士道」の語が繰り返し使われている、現存する最も早い部類の文献。

主君が家臣に土地の所有を保証し(御恩)、家臣が軍務をつとめる(奉公)関係。互いに義務を負う取り決めで、御恩が果たされなければ奉公も切れることがあった。

一つの領地を命がけで守ること。中世の武士の行動原理を表す言葉で、のちに「一生懸命」に変わった。

中国・南宋(なんそう)の朱熹(しゅき)がまとめた儒学の一派。人が本来もつ性質を「理」として捉え、学問と修養(しゅうよう)によって私欲(しよく)を抑え、理にかなう自分になることを説く。江戸幕府が正しい学問として重んじた。

僧の沢庵宗彭(たくあんそうほう)が剣術家に宛てて書いたとされる書。心を一か所に止めないこと(不動智)を説き、武術と禅を結びつけた代表的な文献。

佐賀藩士・山本常朝が隠居したのちに語った内容を、同じ藩の田代陣基(たしろつらもと)が十数年かけて書き留めた聞書(ききがき)。全11巻。長く佐賀藩の外には出されなかった。

本人が書いたのではなく、話を聞いた別の人が書き留めた記録。話し言葉のまま残るぶん、本人の考えがそのままとは限らない。

江戸前期の儒学者・兵学者。武士は自分で物を作らない身分である以上、農民・職人・商人の手本となる指導者であるべきだと説き、これを「士道(しどう)」と呼んだ。

歴史を調べるもとになる、当時の記録そのもの。日記、手紙、帳簿、公文書、裁判記録など。後世の解説書は史料に含めない。

明治の後半に、日本人全体が共有すべき道徳を国の側から示そうとした議論。哲学者・井上哲次郎(いのうえてつじろう)らが中心となり、武士道を国民道徳の中心に置こうとした。

武士の自死の作法。江戸期には名誉を保った刑罰として制度化され、介錯人(かいしゃくにん/首を落とす役)が付き、場所と作法が細かく定められていた。自発的な決意というより手続きに近い面がある。

1701年から1703年にかけて起きた、旧・赤穂藩士による吉良(きら)邸への討ち入りと、その処分。忠義の手本として語られる一方、当時から評価は割れていた。

土台 死を思う — 『葉隠』と死生観の正しい読み方

生か死か、進むか退くかというように、選択肢が二つに絞られた場面。『葉隠』はこの条件のもとでの態度を述べており、日常のすべてを指しているのではない。

いつも死んだつもりでいる状態。実際に死ぬことではなく、自分の命への執着をあらかじめ外しておく心の置き方を指す。

主君が死んだとき、家臣が後を追って自ら死ぬこと。江戸初期には行われたが、有能な家臣を失う損失が大きく、幕府は1660年代に禁じた。佐賀藩はそれに先立って独自に禁じている。

自分の考えや所属を脅かすものを、事実として検討する前にはねのけようとする反応。不安が強いときに出やすい。

判断を、息を七回する程度の短い時間で下すべきだとする考え方。迷いが長引くのは情報が足りないからではなく、決めたくないからだ、という見方に立つ。

相手に打ち明けず、一生秘めたままの恋。『葉隠』はこれを恋の極みとし、報われることを求めない献身の形として語った。

古代ギリシャ・ローマの思想の一派。自分で変えられることと変えられないことを分け、変えられないものは受け入れ、変えられるものに全力を注ぐことを説いた。

徳目 義 — 何を正しいとするかの物差し

どちらが正しいかを自分で判定し、決める働き。判断そのものではなく、判断を下しきる力を指す。

ぐずぐずしない、決めたあと引き延ばさない、という意味。

孟子が説いた、人が生まれつき持つ四つの心の芽。惻隠(そくいん)・羞悪(しゅうお)・辞譲(じじょう)・是非(ぜひ)の四つで、それぞれ仁・義・礼・智に育つとされる。

自分の卑しい行いを恥じ、他人の不正を憎む気持ち。孟子はこれを義の芽とした。

意味の解説を受ける前に、まず声に出して繰り返し読み、丸ごと覚える学び方。江戸期の武家の子はこの方法で『論語』などを身体に入れた。

儒学における人の型。君子は徳を身につけた立派な人、小人はそうでない人を指す。身分の高さではなく、判断の基準がどちらにあるかで分ける。

人との関係の中で生じる、返さなければならない負い目。受けた恩、世話、付き合いに対して生じ、返さないと「義理を欠く」とされる。

自分だけが正しいと思い込み、他の見方を検討しなくなること。

行動を正当化するために掲げる大きな理由。掲げること自体は悪くないが、手段の是非を問わせない働きをすることがある。

江戸中期の儒学者。赤穂浪士の行動を、義というより名を求めた振る舞いだと批判した論者の一人。

徳目 勇 — 恐れの扱いと、蛮勇との境目

後先を考えず、その場の血気にまかせて振る舞う勇気。孟子はこれを、一人の相手にしか通用しない小さな勇として退けた。

多くの人の利害を背負い、大きな筋を通すために発揮される勇気。孟子はこちらを本物とした。

損を承知で動きはじめる力。言う、名乗り出る、断る、始める。

結果が出るまで持ちこたえる力。待つ、黙る、続ける、耐える。

心拍、発汗、消化などを、意識とは無関係に調節している神経。意志の力で直接止めることはできない。

同じ刺激に繰り返しさらされるうちに、反応が小さくなっていくこと。恐れの対象に少しずつ近づいて留まると起きる。

柳生宗矩の用語。一人の悪を断つことで多くの人を生かす、という考え方。剣は殺すためではなく生かすために用いる、とする立場を表す。

1868年、戦闘を行わずに江戸城が新政府側へ引き渡されたこと。百万人が暮らす都市での市街戦が回避された。

徳目 仁 — 強い者の責任と惻隠の情

自分がされたくないことを人にしない、という考え方。孔子は、生涯を通じて行う価値のある一語としてこれを挙げた。

戦う力と、相手の生死を決める権限を持つ者が、あえて手を緩めること。単なる同情ではなく、力を背景にした慈悲を指す。

苦痛に繰り返し接することで、感情の反応が小さくなっていく現象。援助にあたる職種で広く知られる。本人の資質ではなく、負荷の蓄積によって起きる。

相手のためだという理由で、相手の意思を確かめずに決めてしまう態度。善意から出るため、本人には支配だと気づきにくい。

民をいたわる政治。儒学が為政者に求めた理想で、江戸幕府や各藩も建前として掲げた。

徳目 礼 — 型が心をつくる

自分の欲や気分に打ち勝って、礼にかなった振る舞いに戻ること。孔子はこれを仁の内容そのものだと述べた。

あらかじめ決められた振る舞いの形。武術、茶の湯、礼法などで用いられ、意味が分からなくても先に体で覚えることを前提とする。

茶の湯の心得を四字で表したもの。和(調和)、敬(敬い)、清(清らかさ)、寂(静けさ)を指す。

型を十分に身につけた者が、その型を意図して外すこと。何をどう外したのかを本人が説明できる。

型を身につけないまま、形が定まっていない状態。外れているのではなく、そもそも基準がない。

中身のない、形だけの礼。相手を思う働きが抜け落ちている状態。

非常に丁寧な言葉や態度を取りながら、実際には相手を軽んじていること。

武家の礼法・弓術・馬術の流派。立ち居振る舞い、贈答、饗応の作法などを体系化し、江戸期の武家社会に広く影響した。

徳目 誠 — 言行一致と「武士に二言なし」

儒学の経典の一つ。もとは『礼記(らいき)』の一篇で、朱子学において四書の一つとされ、江戸の武士も学んだ。

武士が一度口にした言葉は、それだけで確かなものとされるという考え方。証文(しょうもん)を書くこと自体が、かえって名誉を汚すとされた。

言ったことが実際になる、と他人から見なされている状態。誠が自分の側の作業であるのに対し、信は相手の側にできる評価を指す。

言葉を飾り、表情を取り繕うこと。孔子はそこに仁は少ない、とした。

自分の都合のよいように事実の見方を変え、自分でもそれを信じてしまうこと。他人を欺くより気づきにくい。

江戸で、武士の給与米を換金し、それを担保に金を貸した商人。武士の借財が膨らみ、幕府が債務の帳消しを命じる令を出すことが何度かあった。

徳目 名誉と恥 — 恥の感覚の使い方と、その暴走

家と自分の評判。武士にとっては個人の評価にとどまらず、家名として代々受け継がれるものだった。

世間からどう見られているか。名誉の外側の部分を指す。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが『菊と刀』(1946年)で用いた区分。西洋を、内面の良心に照らして行動する「罪の文化」、日本を、他者の目を基準にする「恥の文化」として対比した。

怒りや屈辱を、その場で表に出さずに耐えること。第4章で見た「堪忍の勇」と同じ語で、名誉の文脈では「耐えること自体が名誉である」という意味になる。

主君や目上の親族を殺された者が、加害者を討つことを認められた制度。奉行所への届け出と許可を要し、無届けの討ち入りは犯罪として扱われた。

徳目 克己 — 慎独と、日々の修養

誰も見ていない、自分ひとりのときにこそ、振る舞いを慎むこと。儒学の修養の中心に置かれた考え方で、江戸の武士も繰り返し説かれた。

儒学の経典の一つ。もとは『礼記』の一篇で、朱子学において四書の一つとされた。修養から治世までの順序を説く。

江戸後期の儒学者。幕府の学問所で多くの門人を育てた。その語録『言志四録(げんししろく)』は、西郷隆盛が愛読し、獄中で百条余りを抜き書きしたことで知られる。

江戸中期の学者。晩年に著した『養生訓(ようじょうくん)』で、食事・睡眠・運動・感情の管理を体系的に説いた。八十代で書かれた本人の実践記録でもある。

繰り返した行いが、やがてその人の生まれつきの性質のようになること。よい方向にも悪い方向にも働く。

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